2022/01/02
IdeaGridというソフト
ですが、問題が一つ。
Mac版がないのです。
Macをメインの執筆機にしているので、データやアイディアは、基本iCloudやDropBoxに蓄積。
それぞれの機器で必要な時に引き出す、そんな運用です。
なので、MacとiPadには、基本互換性があるアプリしか入れず、どちらでもデータやアイディア、執筆が行える環境にしています。
で、ですね。
マンダラート系のカード型のテキストツール。
これだけが、MacとiPadで揃わない。
そこで目をつけたのがIdeaGrid。
https://ideagrid.me/new/?lang=ja#page-top
とりあえずMac版を先行購入しましたが、思いの外使い勝手がいい。
もう少し使い込んでみて、iPad版の購入を検討するつもりです。
2018/10/24
Treeに替わるアウトラインプロセッサはないのか! 〜Dynalistについて〜
今まで
今まで、様々なアプリを使い、プロットを立てたり、Todoリストを作ったり、なんやかんややってましたが、中々方法が定着せず。ただただ無駄なファイルが散乱してしまう事態に陥っていました。
アウトラインプロセッサは、Tree、OmniOutliner、タスク管理にTodoist、OmniFocus、TaskPaper。そして、執筆には使ったのは、Scrivener、Ulysses。
最終的に、Ulyssesでまとめ上げておりました(Scrivenerもいいんですが、ファイルが結局散在するんですよね……)。
そんな折、Tree2の開発が停止され、もうリンクもないという記事を見つけました。
──なんですと!
と、急ぎサイトにアクセスすると、もうそこには何もなく、もちろん、Tree2のインストールファイルすらない事態になっていました。
AppStoreからも削除され、最早再インストールすらままならない。
あんなに使いやすかったアウトラインプロセッサが、あっという間に(実際は紆余曲折があったのでしょうが……)消えてしまう。
正直困りました。
OmniOutlinerが手元にありましたが、Tree2ほどの操作性はなく、何となくしっくりこなかったので、持て余してました。
TaskPaperも、アウトラインプロセッサ的な使い方が出来るので、代用しようかとも考えました。
でも、どちらも大量の半端なプロットファイルを生成するだけで、整理自体進まず。
というより、ちゃんと書けよと言われそうですが💦
まぁ、困った困ったでは先に進まないので、困った時のネット検索。
ささっとネットで探すと、あるサービスが今、騒がれているとか。
Dynalist。
アウトラインのクラウドサービスです。
Dynalistとは
このサービス、Web版(ブラウザで稼働)の他、ネイティヴアプリも提供していて、どちらも、ショートカットキーが使えるかどうかの違いはありますが、同機能。
アウトラインプロセッサに、ショートカットキーは重要なので、早速ネイティブ版をダウンロード。
ふむ。
なぎのきにとって最も重要なのは、トピックの階層移動です。
その点、Dynalistは、Tab、Shift+Tabで階層を上げたり下げたり出来ます。
合格点。
次に、上下の移動。おお。コマンドキー+カーソルで動く!
※なぎのきはMacユーザですw
”出るだけキーボードから手を離さず操作でき、思考を阻害しない”
アウトラインプロセッサの最低条件として、なぎのきが課した制限事項です。
その点Treeは合格点でした。あれほどのアプリはもう出ないでしょう。多分。
ただ、そんなTreeにも欠点がありました。
情報を一元管理出来ないんです。ファイル単位でアウトラインを生成するので、何かを作る度にファイルがポンと出来上がる。これはOminiOutLinerも一緒。他のアウトラインプロセッサも同様でしょう。
ですが、Dynalistは違いました。
Dynalistというサービスの中で、いくらでもアウトラインを生成出来て、さらに無料アカウントでも、アウトライン、トピック数は制限なし!
何という太っ腹w
さすがに、タグ管理やブックマークは五個まで、という制限は付きますが、それさえ気にしなければ、プロット、章立て、設定、スケジュールを、Dynalist一本で管理出来てしまう(さすがに本文執筆は無理そうです。なぜなら、文字数カウントが実装されていないのです……トホー)。
しかも操作性においても、及第点です。トピックの移動や階層移動は、ほぼショートカットで網羅されており、思考へ対しての影響は最小限と言えるでしょう。
とはいえ、問題がないというわけではありません。
無料のクラウドサービスなので、いつサービス停止したり、仕様変更するか分からない。そんなリスクを背負いつつ、貴重なアイディアを整理していけるかどうか。
なぎのきが、DropBoxやGoogleドキュメント、OneDriveをメインとせず、iCloudの有料版を使う理由はここにあります。
果たして、信頼性は担保されるのか。
継続してサービスが提供され続けるのか。
この二つが満たされないと、それは後々、Treeのように困ってしまうことになります。
作成した情報を見る事するら適わない。それでは困るわけです。
(実際、Treeで作成したファイルは、まだTreeが起動するウチに読み込んで、テキストとしてコピーを遺したり、OPMLでエクスポートしてOmniOutlinerで読み込んだりしています)
有料版はいくらだ。
金払っておけば、サポートもしっかりしてくれるだろう。
Dynalistは今流行(?)のサブスクリプション制です。
月額あるいは年額でいくら、というアレです。
今なぎのきは、UlyssesとBear、Todoistを年間購読しています。
購読に値すると思ったからです。
他には、Tree、Scrivener、TaskPaper、OmniOutlinerのメジャーアップデートを追いかけています。OSのアップデートに伴い、アプリケーションのバージョンアップするので、当然アップデートしていくわけです。
執筆に関しては、それは「必要経費だ」と、心と財布に言い聞かせ、これまでやってきました。
ですがここで、Treeのアップデートが途切れました。
見直しを図る必要が生じたわけです。
これまでの経験上、情報は出来るだけ一つにまとまっていた方がいい。今、Ulyssesでやっているように。
そしてなぎのきは、次のように整理しました。
- Dynalist
- プロット、スケジュール、設定等のアイディア出し、管理。
- Ulysses
- 執筆、最終的な原稿の管理
これで、Todoist(3500円)、Tree(1200円)、Scrivener(5400円)、TaskPaper(3000円)、の購読やアップグレードを追いかける必要がなくなったわけです。
合算すると(ScrivenerやTaskPaperはサブスクリプションではないので、単純に合算とはいきませんが、ここでは単純化します)、13000円ちょっと。
対して、Dynalistは、月額$9.99あるいは年$95。約12000円くらいでしょうか。
直観的に、トントンかな〜、と思ったんです。
それに、情報やアイディアは、出来るだけシンプルに整理・管理したいですし。
試用を開始、そして……
早速試用を開始しました。
無料アカウントは、いつでもホイホイと作れますが、タグの管理、ブックマークの制限解除、DropBoxやGoogoleドライブへのバックアップ機能を持つ「Pro版」の試用期間は、通常二週間。しかし、先人の紹介記事からのリンクでアカウントを作成すると、一ヶ月に試用期間が延長されます。
早速、リンクを探して、Pro版の試用を開始。
意外に使える?
というのが、現時点の感想です。
macOSもMojaveになり、ダークモードでの利用が増えました。
対応アプリも一気に増えました。
Dynalistもダークモードに対応しているので、UIは合格点。
一元管理なので、何か整理したかったら、Dynalistを開き、ブックマークから途中にしていた箇所に移動し、そこでアイディアを掘り下げ、形にし、と繰り返し。
中々、使えます。
基本クラウドサービスである以上、オンラインでの利用が前提になりますが、モバイルルータや、無料Wifiサービスを提供しているお店も増え、特に不便を感じません。
今後使い込んでいく中で、問題や改善、解決策などを公開していけたらな、と思っております。必要ならばスクリーンショットも貼っていきたいと思います。
終わりに
如何でしょうか?
もし興味をお持ちなら、使ってみませんか?
無料ですし、下記リンクから登録すれば、Pro版として一ヶ月間、じっくり試せますよ〜。
https://dynalist.io/invite/lJ19RA
2018/02/04
作品紹介&コラボイラストありがとう!!
2017/07/01
それは一枚の年賀状(試し読み)
一枚の年賀状から始まる、男と女の行き着く先を描きます。
序 東京にて
季節は冬。十二月だ。それはどんな人でも忙しい季節でもある。
そんな中、俺は人と待ち合わせるため喫茶店に入った。
時間は夕方。もう外は暗くなり始めていた。店内は程よく混み合い、客がそれぞれの席で思い思いの会話を繰り広げている。
そこは四年前に俺が東京で働いていた頃、よく利用していた店だった。
俺は改めて店内を見回した。
古びた天井、若干茶色がかった壁紙。何もかも当時のままだ。
──変わらないもんだな。
俺は妙な事で感心し、空いている席に座りタバコに火を点けた。
今時タバコを吸うにも場所が限られている。
そういった意味で、この喫茶店が当時と変わっていなかった事に俺は感謝した。
「お待たせしました」
そっとテーブルに置かれるブレンドコーヒー。
年の瀬の寒空。暖房の効いた店内。
ここだけ世界から切り取られたような、そんな雰囲気があった。
俺はかすかに波打つコーヒーカップの表面を見つめ、茶褐色の液体に歪んで写る自分の顔に、これまで何度も自問自答した疑問を繰り返した。
──俺がここにいるのはなぜだ?
もちろん目的はある。
理由もある。
だがそれらに自信が持てない。
今から五年前。一緒の職場で共に働いていた女性。俺はその彼女を待っている。
俺は自問する。
何のために? 会ってどうするんだ?
答えなどない。いや、既に出ているのかも知れない。
──俺の選択は間違っているのか、それとも。
俺だけじゃ答えは出ない。
彼女が来ても答えは出ないかも知れない。
俺は一枚の年賀状をショルダーバッグから取り出した。
──そうだ。
俺は会わなければならない。
お互いの空白を埋めるために。
俺と彼女が一歩前に進むために。
第一話 一枚の年賀状
「祐一ぃ、年賀状来てるわよ」
新年早々、母が俺を階下から呼びつけた。
俺は頭が半分寝込んでいる。年末年始の深夜の特番を見続け、ほぼ徹夜状態だったからだ。
実家住まいの俺は、一階のキッチンのテーブルに無造作に置かれた年賀状の束を手に取り、一枚一枚斜め読みしながら二階に続く階段を昇った。
毎年届く年賀状の枚数はほぼ決まっている。会社の人間数名と友人達。多くても十枚かそこらだ。
と──。
それは一枚の年賀状だった。
「え──?」
俺は一瞬で目が覚めた。
差出人は一条彩。
二年前、俺が東京で働いていた時の同僚だ。
俺は震える手で年賀状を裏返した。
可愛らしいフォントで『あけましておめでとうございます』の文字が躍っていた。
コンビニなどで売っている既製の年賀状ではない。
手作り、と言ってもパソコンで打ち出したものだ。干支の可愛らしいイラストが新年を祝っていた。
──一条さんらしい、かな?
ここまでは俺は平静を保てた。
だが、その年賀状の一番下に書き添えてある短い文で目が止まった。階段を昇る足も止まった。
そこにはこう書かれていた。
『お久しぶりです。お元気でしたか?』
一応元気ではある。ちょっと眠いだけだ。
それに確かに久しぶりだ。
俺が東京の会社から去って二年経つ。去年は一条さんから年賀状はこなかった。それがなぜ今年になって年賀状を送ってよこしたんだろう?
かつての同僚とは言え、一緒に働いた期間は一年程度だ。
俺は当時の事を思い出しつつ、自室の炬燵の上に年賀状を広げた。
あの時の事。
一条さんが配属されて来た時の事を。
2
「……と言います。よろしくお願いします」
緊張のためか声が小さく良く聞き取れない。辛うじて分かるのは、女性の声だという事くらいだ。
当時、東京の大手メーカー系のシステム開発部に出向していた俺は、部内会議で紹介された新人の女性の名を聞きそびれた。
やむなく隣にいた巨大な男性の先輩に尋ねる。先輩が身動きする度、会議室のパイプ椅子が軋む。今にも押し潰されそうだった。
「あのなー高梨。お前、ちゃんと聞いてろよ」
先輩はそんな口調とは裏腹に、手帳に書き殴ったらしい彼女の名前を見せてくれた。それは非常に難解な文字で『イチジョウ アヤ』と書かれていた。
「なんて字書くんですかね?」
「それは本人に訊けよ」
先輩は答えは素っ気ない。
興味ないのかな?
少なくとも自分の会社、そして自分が所属している部署に新人が配属され、さらにそれが女性となれば興味が湧かない訳がない。
とは言え、部内会議の末席に座る俺が手を挙げて「何て字を書くんですか?」なんて質問を出来る訳がない。俺はこの会社の人間ではない。他社から出向し常駐している人間だ。会議には出るが、正社員とは立場が違う。さらに言えば、末席が故『イチジョウ』さんの顔すら見えない。
──ネームプレートかIDカード見れば分かるだろう。
その時はその程度の感想しか持ち合わせていなかった。
珍しく短めに会議が終わり、俺と先輩は自席に戻る前に一服するため、一緒にリフレッシュルームに向かった。
壁が茶色く色づいたリフレッシュルームには先客がいた。課長だ。
「お疲れ様です」
俺は定型文を口にし、軽く会釈した。そして自分のタバコのパッケージを見て、残弾ゼロな事に気が付いた。
「藤木さん、タバコ余ってます?」
俺は一緒にいた先輩に声をかけた。一本恵んでもらおうと思ったのだ。
だが藤木さんは「ああ、スマン。俺もこの一本で空だ」と咥えタバコのまま応じた。
──しゃーないな。
俺は矛先を課長に向けた。
「鈴木課長、すみません、タバコ一本恵んで頂けますか?」
鈴木課長は黙ってタバコのパッケージを俺に突きつけた。
分煙機を挟み紫煙をくゆらせる藤木さんと課長の対比が面白い。巨漢の藤木さんとスリムな鈴木課長。身長は同じくらいだが、ただでさえ狭いリフレッシュルームの専有面積がまるで違う。
「ありがとうございます」
俺はそのパッケージからそっと一本抜きだし、礼を言いつつタバコに火を点けた。
だがキツい。普段1mgのタバコを吸う俺に14mgは大分キツい。
「課長、よくこんなキツいの吸えますね」
「何を言う。これくらいじゃないと吸った気にならないだろうが」
それは分かる。俺も吸い始めはヘビーなタバコから入った。
だが最近になってタバコが健康によろしくないと気づき、軽めのタバコに替えた。吸い始めは空気を吸っているような感覚に陥ったが、慣れるとちゃんとタバコの味がするから不思議だ。そもそもタバコを吸っている時点で健康云々は気休めに過ぎないが。
「藤木、丁度いい。今日から『イチジョウ』を下につける。面倒見てやってくれ」
「は? わたしですか?」
藤木さんが驚いた表情をした。まさか自分にお鉢が回って来るなんて考えていなかった。そんな顔だ。
「太田も、白川も今抱えているプロジェクトで手一杯だ。まぁお前が暇って訳じゃないが、高梨もいるしな。もう一人増えても変わらんだろう?」
課長は俺の顔を見た。
「丁度来週から新規案件が立ち上がるだろう? そこから入ってもらえば仕事の流れを見やすいと思ってな」
俺は課長の問いに「そうですね」と無難に応じた。
「あ、お前そんな事言う? じゃ概要設計任せるからな」
「ええ? いやいや藤木さん。俺が一人で出来る訳ないでしょう?」
「いや。高梨もここに来て一年だ。そろそろやれる範囲を広げるべきだ」
課長が藤木さんの後押しをする。
俺は窮地に追いやられた。
とは言え。
俺はここで一年やって来た。それなりに頑張ったという自負がある。
課長の言う通り、自身のスキルアップを図らなければならない時期に来たのだと思う。
──でもなー。
そんな重要な事、タバコ吸いながら決めるか?
俺は短くなったタバコを惜しみながら、灰皿に押しつけた。
「とりあえず、席に戻ってから相談しましょうよ」
一旦先延ばしにする。恐らく決定事項だろうが、まだ心の準備ってヤツが出来ていない。
この『決定事項』は、『イチジョウ』さんが後輩として俺の下につくのと同義だ。
それなりに覚悟やら色んな準備が必要なのだ。
*
席に戻ると『イチジョウ』さんと思しき女性が立っていた。しかも俺の席の前に。
会議中は全然見えなかったので、顔を見るのはこれが初めてということになる。
すっきりした顔立ちで、黒い髪の毛は背中に届く程の長さ。背は大体俺と同じくらい。俺は身長が低いので、女性としては背が高い部類に入るだろうか。
「お疲れ様です」
俺はそんな『イチジョウ』さんに、無難な挨拶を繰り出した。
すると『イチジョウ』さんも軽く会釈し、小さな声で「お疲れ様です」と返して来た。緊張しているのか、表情からは感情が読み取れなかった。
そこで会話が止まった。話が前に進まない。俺は大いに弱った。
「おいお前ら、いつまで見つめ合ったまま突っ立ってんだよ。お見合いじゃないんだぞ?」
藤木さんがニヤニヤしながら俺の肩をポンと叩いた。
「や、これはそんなんじゃなくてですね」
俺はなぜか狼狽えた。
「ま、俺みたいなオッサンには関係ないが、これも仕事だ。打ち合わせするから資料の準備頼む」
藤木さんは意味があるようなないような指示を出し、俺の隣の自分の席に座った。
「『イチジョウ』の名前はその字か」
藤木さんは『イチジョウ』さんのネームプレートを見て鷹揚に頷いた。
俺も藤木さんに倣いネームプレートを見る。そこに書いてある文字は『一条 彩』。これでやっと顔と名前の字が判明した。
後は仕事が出来るかどうかだ。
「藤木さん、資料って先週まとめたヤツでいいんですか?」
「ああ、それでいいよ。とりあえず関係者は俺を含めて三人だ。あーいや、課長が来るかも知れないから四部刷っておいてくれ」
「分かりました」
俺は席に座り、自分のPCを立ち上げた。
そこで背中に視線を感じた。
──ああ、そう言えば。一条さんはどうするんだ?
「藤木さん」
「ん?」
「一条さんは?」
「ああ」
藤木さんがたった今思いついたような顔をした。
「一条のPC、セットアップしなきゃな」
そう言って俺の隣の空席に視線を移した。
そこには箱に入ったままのPCやらモニタの箱が積まれていた。
──おおぅ……つまり俺にやれと。
「セキュリティ関連は後で担当者がやるが、設置やら接続とか初期設定は頼むわ」
「……分かりました」
どうせ他にやれる人はいない。ここはシステム開発を主な業務としている部署だが、PC自体に詳しい人は少ないのだ。
「じゃ、ええと」
俺は席を立ち、一条さんに向き直った。
「梱包解くところからだな。手伝ってもらっても?」
そこで思わぬ衝撃が俺を襲った。
「はい!」
短かくも元気のいい返事。そして何より。
一条さんが初めて感情を表に出した。つまり微笑んだ。
──結構可愛いじゃん!
それが俺の、一条さんに対するファーストインプレッションだった。
*
その後俺は、紆余曲折あってその職場を離れた。
主な理由は人間関係。ある人物と反りが合わなくなり居場所を失った。ついでに言えば通勤ラッシュ。よくもまぁ電車にあれだけの人間を詰め込めるものだ。人間自体を圧縮する技術でも発明しないと、そのうちどこの駅に行っても乗れなくなるに違いない。
もちろん慰留はされた。
課の中でPCに詳しい人間は俺くらいだったから、業務に直接影響しなくても細かなトラブルの対応は困るだろう。
ところが俺は自分がどんな評価をされていたのか、その話し合いの場で初めて知った。
創意工夫。出来ないならどうすれば出来るか。俺にとってそれは至極当たり前の事なのだが、他の同僚は違ったらしい。その点において俺は部長の目に止まっていたのだ。
だが俺はこの会社の人間じゃない。あくまで契約上常駐しているだけで、いずれ来る契約満了をもっていなくなる人材なのだ。
そう伝えると、何と正社員として迎え入れる用意があると言う。
これには俺も驚いた。
一瞬心が揺れたが、俺はもう心に決めていた。地元である宮城県に帰ると。
専門卒で就職しこの職場で約二年勤めた。まだ二十三歳。いくらでもやり直せる。その時はそう思っていた。
折しも季節は冬。年の瀬だった。
*
「高梨君さぁ」
先輩社員の白川さんが、俺の最終出勤日に声をかけて来た。事務所内ではなく廊下でだ。白川さんとは仕事で絡んだ事はないが、お互いPCに詳しいという事もあり、趣味方面で盛り上がる事が多かった。
「一条さん、気にしてるよ?」
「え? 何をですか?」
白川さんは周囲に誰もいない事を確認し、さらに声を潜めた。
「高梨君の事だよ」
──え?
俺は耳を疑った。
彼女は大卒で入社したので、高卒アンド専門卒である俺の一個上だ。しかも仕事でメキメキと頭角を現し、右も左も分からない新人さん状態からすぐに脱し、今はもうSEの能力として俺を追い抜いていた。ただ少々頭が固い。だがそれは経験値が足りないだけだ。
だから彼女が俺なんかを気にかけているなんて、露程も考えていなかった。
そもそも立場が違いすぎる。
一条さんはこの会社の正社員。対する俺は他社から出向だ。
学歴、能力、立場。どれを取っても釣り合うはずがない。
「白川さん、からかってます?」
「まさか。僕が冗談を言う人間に見えるか?」
白川さんはメガネの位置を直しながらそう応じた。
──確かに。
白川さんは真面目タイプで、滅多な事で冗談は言わない。言っても寒くなるだけだと自覚しているからかも知れないが。
「どうする? 話したいなら、僕が話を付けて来るけど」
俺は一瞬迷った。
本当に気にかけてくれているなら、そんなに嬉しい事はない。だが悲しいかな、生まれてこの方彼女の一人もいなかった俺はこの手の事に免疫がない。
仕事であればこそ対等に話が出来た。
だがプライベートでとなれば、勝手が違いすぎる。
それに──正直に言えば怖かった。
仮にそうだとして、一条さんにどう接していいのか分からない。
それに。
──今日で俺はここからいなくなる。今更だよな。
「いや──いいです。どうせ俺はいなくなる人間ですし」
そう。俺とこの会社との関係は今日で終わりだ。何をするにも遅すぎる。
「分かった」
白川さんは複雑な表情をし、事務所の中に消えた。
廊下には俺一人残された。
──静かだ。
既に私物は整理済みだし、上長や先輩達への挨拶も済ませた。後はここから引き上げるだけだ。
──このビル全体がもう、俺には無関心なんだな。
ちょっと寂しい気がした。
俺はそんな思いを振り払うかのように、ショルダーバッグを肩にかけ直し廊下を進んだ。
その先にあるエレベーター。そして正面玄関。そこを抜ければ、俺はこのビルに二度と足を踏み入れられなくなる。
──あっけないもんだな。
約二年。
色んな事があったが、働きがいのあるいい仕事だと思った。
クライアントと打ち合わせをし、概要をまとめ、ドキュメントを作り、スケジュールに沿って開発を進める。
クライアントとも上手くやっていたし、大きなミスもなかった。
役割は果たせたと思う。出来ればもう少しいたかったが、人間関係のトラブルは後を引く。きっとどんどん居づらくなるだろう。潮時だったのだ。
と──。
複数の女性社員の声が聞こえて来た。どうやら廊下に面している給湯室で雑談に耽っているらしい。
俺はそこを素通りしようとした。
だが。
「高梨さん、今日で終わりなんですよ」
その一言で足が止まった。
なぜならその声が一条さんの声だったからだ。
「彩、結構かわいがってもらってたしねー」
「お別れのプレゼントとか渡した?」
「いえ、それは……」
無遠慮な女性社員の声が一条さんを追い詰める。
「別に外国に行っちゃうとかじゃないんで」
そりゃそうだ。ただ三百キロ程北に行くだけ。新幹線なら二時間弱。東京〜仙台間なんてのはその程度の距離だ。
「でも会えなくなっちゃうよ?」
「それはそうなんですけど……」
どうにも煮え切らない。なんだろう? もやもやした感情が湧き上がって来る。
「彩はそれでいいの?」
その言葉は俺の胸に突き刺さった。
このままでいいのか? 俺は一条さんに最後の挨拶もなしに去ってしまっていいのか?
──いや。
なぜ迷う? 俺はここの人間じゃないんだぞ?
その迷いを払ったのは、他ならぬ一条さんだった。
「いいんです。高梨さんの選んだ道ですし。色々教えてもらって今でも尊敬してます。でも、もういいんです」
──そっか。
彼女は自分の立場を分かってる。俺がどんな立場なのかも分かってる。
俺は給湯室の面々に気づかれないように素通りし、エレベーターに向かって歩を進めた。
もう未練はない。
ここはもう俺の居場所じゃない。
どこか晴れ晴れした気分だった。
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2017/06/30
カレイドスコープは魅惑する(試し読み)
いるかネットブックス様より配信されている電子書籍です。
『闇の祓い師シリーズ』として、次回作の構想を練っている段階です。
(早く出したいw)
ご購入はこちら→http://amzn.to/2t7ebr4
魔女の家(試し読みVer)
電子書籍で配信されている「魔女の家」の冒頭のサンプルです。
序
「だからあんたは鈍くさいんや!」
いきなり女性の怒鳴り声が聞こえてきた。
周囲よりちょっとだけ盛り上がった丘の上、そこには鬱蒼と木々が生い茂っていた。その隙間から覗く、見るからに旧い建物。屋根はちょっと歪んだ三角錐。よく見ると壁も微妙に傾いている。にも拘わらず、アルミサッシや玄関ポーチはきっちり水平に取り付けられている。なんとも違和感の多い洋館だった。
どうやら先ほどの怒鳴り声はそこから聞こえてくるようだ。
「何よ! ちょっと間違っただけじゃない!」
窓を開け放しているのか、少なくとも二名の女性が口論を繰り広げている様子が声が丸聞こえだ。
だが周囲の木々は、そんなことはお構いなしに風に葉を揺らしていた。
「ちょっと待って。試しに──」
訂正。三名、いや──。
「まぁまぁ。悠里(ゆうり)も悪気があったわけじゃないし。楓(かえで)もそんなに目くじら立てなくてもいいだろう?」
そこで何があったのかは不明だが、悠里という女性が何かをしでかし楓という女性がそれに対して怒っている。それを他の二名が宥めている。そんな状況らしい。
「じゃ沙樹(さき)が食べてみい? 悠里が何をしたか分かるで?」
「いや、私は遠慮する」
「なんでや!」
「普通、砂糖と塩間違えるか?」
折しも今はお昼時。
どうやら悠里が昼食を作り、その際調味料を間違えた。それが事の真相らしい。
「ほら見てみい」
勝ち誇ったような声が洋館から漏れ聞こえた。
「あれ? 案外美味しいよ? これ」
「アリス! あんたは味覚音痴か! これのどこに美味しい要素が入ってる言うんや!」
その四者四様な会話劇は、突然割り込んできた男性の一声で終焉を迎える。
「あー君たち。悠里君が砂糖と塩を間違えたくらいで大騒ぎしないように。家の外まで響く。近所迷惑だろう?」
「五代(ごだい)さん、一番近い隣の家までまで一〇〇メートルはあるで?」
五代と呼ばれた男は、楓のツッコミを平然と無視した。
「それより『仕事』が来てる」
「それホンマですか? 五代さん?」
「僕が君らに嘘をついてどうするんだ?」
「そらそやな」
楓の声のトーンが柔らかくなった。どうやら溜飲を下げたらしい。
「じゃ今度は『仕事』の話で盛り上がりましょうかね」
「何で敬語? しかもなぜに標準語?」
今度は悠里がツッコむ番だった。
「やかましいわ! ウチかて場の空気くらい読むんや!」
かくして。
旧い怪しげな洋館は、今日も騒がしい午後が始まろうとしていた。
1
「それで『仕事』言うんは……」
関西弁を駆使する二八歳、つまりアラサー世代の女性、三谷楓(みたに かえで)は、後ろに束ねた黒髪をふりふり、物欲しそうな目で五代を見つめた。
頭一個分くらい身長差があるので、どうしても上目遣いになる。何かおねだりをしている。そんな風に見えなくもない。
だが五代は態度を崩さず、極めて事務的に『仕事』の内容を端的に言い放った。
「今回の『仕事』はストーカー調査です」
五代は一階一二畳のリビングに勢揃いした女性四人に向け、『仕事』の説明を始めた。
彼女らは、それぞれ思い思いの場所に座ったり壁にもたれかかったり。誰一人としてリビングに置いてあるソファに座っていない。この四人が結束して何かを解決する、そんな姿勢にはとても見えなかった。
「ストーカーとはまた、地味な仕事だな」
リビングの入り口の壁にもたれかかり、吊り目気味な目を閉じてため息を吐くのは、彼女たちの中で最年長二九歳の一条沙樹(いちじょう さき)だ。
彼女は五代が不在の時のリーダー的な立場だ。と言うか自分でその場を仕切るので、自然とそんな立ち位置になっていた。
「そんなのは警察に任せればいいのでは?」
「沙樹君の言うことはもっともだ」
五代は沙樹の反論を気にするでもなく『説明』を続けた。
「この案件が警察ではなく、『魔女協同組合』管轄にされたのは理由があるんだ」
「はいっ! 質問っ!」
二階堂悠里(にかいどう ゆうり)、(二七)がやや茶色がかったさらさらヘアを揺らし、ダイニングテーブルから元気よく挙手した。
「まだ説明が途中なんだが……」
五代が口の中でごもごもと呟くが、悠里は気にも留めなかった。
「ストーカー調査ってことは、依頼人は女性ですよね? 年齢とか細かな情報はあるんですか?」
「それはだな」
五代は言葉に詰まった。実は詳細がまだ『魔女協同組合』から届いていないのだ。
特に今回のような民間人相手の案件の場合、『魔女』が介入する上で慎重な審査がなされる。ストーカーという事件性の高い案件であるが故、取り急ぎ『仕事』として処理するよう命が下ったが、その対象や取り巻く環境等の詳細は組合で審査中だ。
「ええとだな。それは追々情報が届くことになっている」
「えぇ? 誰が被害者なのかまだ分からないんですかぁ?」
「被害者、というかまだ被害は出ていないからその言葉は適切じゃないな」
「でもストーカー調査って……」
悠里はぷうーっと頬を膨らませた。
「とにかく話を進めていいかな?」
「ちょっと待って下さい」
リビングの隅にある小さな机で水晶玉と睨めっこしていた金髪碧眼の女性、四堂(しどう)アリスが五代の説明に割って入った。
「……今水晶玉見ていたら、女性が誰かに追われてる、そんな映像が映りました。今、壁に映しますね」
低いうなり声のような音がし、リビングの壁に何やら不安げに後ろを振り向きながら家路に就く女性の姿が大写しになった。整った顔立ちの女性が恐怖に怯え後ろに束ねた髪を振り乱している。アリスの満足げな表情から映像に多少手を加えたようだ。
その映像を観るに、それは深夜の出来事らしい。
「今回のお仕事の対象はこの方ですか?」
「……ああ、そうだ」
すっかり出鼻をくじかれた五代だった。
2
「一つだけ分かっている事がある」
五代は何とか主導権を取り戻そうと、咳払いを一つ。
「さっき『ストーカー被害』じゃなく『ストーカー調査』と言ったのには理由があるんだ」
壁面に映っている女性は一時停止され、その表情から恐怖の色が見て取れた。
「この女性を恐怖に貶めている『ストーカー』だが、正体が不明なんだ」
「不明?」
悠里が首を傾げた。
ストーカーと言っておきながら、そのストーカー自体が正体不明とはどういう事か?
「それが警察で対応出来ない理由というヤツか?」
沙樹が五代の返答を先回りした。
「この女性の身辺調査をすれば何人かピックアップ出来るだろうが、そもそも正体不明とか言われてしまえば、警察ではお手上げだろう」
五代はしたり顔で頷いた。
「まぁ沙樹君の答えでほぼ正解だ。実際、その辺の情報はまだ警察でも掴んでいない。組合もそうだ。今頃『占い師』が総出で情報収集にあたっているだろう。そこでだアリス君。君ならある程度『視える』だろう?」
五代はアリスに向き直った。
「どうだい? 何か『視える』かい?」
五代は期待の籠もった眼差しでアリスを見た。
「いいえ」
アリスはきっぱりと言い切った。
「ぜ、全然『視えない』?」
「はい」
即答だった。
「……君は『占いスキル』を持ってるからちょっとは期待していたんだが……」
どうも五代という男はあまり綿密な計画を立てるような性格ではないらしい。一八〇センチ近い体格のせいか、頭まで血が上っていないのかも知れない。
「五代さん、あんた大ざっぱにも程があるわ」
楓が呆れたと言わんばかりの態度で五代を睨めつけた。
「と、とにかくだ」
五代は咳払い一つで、場の雰囲気を変えた。
「調査対象となる女性はこの方だ。名前は金堂幸(こんどう ゆき)。そこで早速だが仕事にとりかかってもらおうと思う」
「情報も何もなしでか?」
沙樹はズバズバと五代に突っ込んだ。
「大体ストーカー被害の調査なんて言ったら、本人の行動にこちらも合わせなければならない。私達はそんなに暇じゃない」
「何も君らが張り付く必要はないさ」
そういう五代の目は悠里を向いていた。
「へ? 私?」
全員の目が悠里に向けられた。
「ああ、そうだな。悠里なら」
「せやな。使い魔を張り付かせるんやな」
「そう言う事だ」
「ちょっ、ちょっと勝手に決めないでよ!」
悠里は勝手に進む物事にタンマをかけた。
「そんないきなり振られたって困るし! 私だって予定があるし!」
そんな悠里に、五代は冷静に言い放った。
「沙樹君は組合経由で来た警察関連の案件を二件抱えている。楓君はテーマパークのバイトがある。アリス君は的中率はともかく占い師の仕事がある。さぁ。残るのは一体誰かな?」
「ぅぐ……」
実際、悠里は暇をもてあましていた。魔女ではあるのだが、使い魔を使役する以外ろくな術が使えない彼女は、沙樹のように空間転移で犯人を追ったり隠密調査したりは出来ない。
楓のように、テーマパークで攻撃魔法を『手品』と称して、派手にドンパチやって観客を愉しませる事も出来ない。
そしてアリスのように、的中率その他諸々が一〇〇パーセントではなく結果にムラがあるとはいえ、占いが出来るわけでもない。
せいぜい公園で野良猫に餌付けしたり、カラスに生ゴミを狙わないよう説得するくらいだ。
「と言うわけだ」
「まだ何も言ってません!」
悠里は精一杯の抗議をした。
「だが他に適任がいない」
「いやその、だからって……」
「君なら使い魔をちょちょいと金堂さんに張り付かせて、それを監視していればいい」
「や、だから……」
悠里は粘った。
だが五代は揺るがなかった。
「それともう一つ。今現在この家にいて何も『仕事』をしていないのは君だけだ」
「うぅ……」
五代プラス四人の魔女の視線が注がれる。
退路はなかった。
3
「あー……。気が重い……」
悠里は、数少ない情報源である金堂幸の住所を教えてもらい、彼女に会うべく電車に揺られていた。
悠里達が住む『家』は僻地だ。
街の中心部に出向くには、バス、電車、そして徒歩を駆使しなければならない。
「面倒くさいぃ……」
悠里は魔女だ。魔女であるからには魔女協同組合の仕事を請け、責任を持ってそれを遂行する義務がある。その見返りとして幾ばくかの報酬と『家』に住む権利を与えられる。独立して街の中心に住んでいる魔女もいるが、今『家』にいる悠里を含んだ四名の魔女はそこまでの稼ぎはない。つまり管理人かつ世帯主である五代の家に居候している身なのだ。
しかも基本的に人間嫌いである悠里は、可能な限り家から出ない。つまり仕事をしたがらない。
これではいつまで経っても理想とする生活には辿り着かない。
「あーあ。一人でノンビリと猫と戯れたい……」
もちろんそんなことが許される程世の中は甘くはない。
特に魔女には。
「魔女って言ってもなぁ……」
悠里は、バッグから古くさい、クレジットカードサイズの羊皮紙を取り出した。
魔女協同組合認定証。そこには『魔女二級』と書かれていた。
それは悠里が魔女である事を証明する唯一のモノだ。
だがそれを世間様に提示した所で、何かもらえるとか、何かの証明になるとか、そんな事はない。
何それ?
そんな事を言われるのがオチだ。下手すれば職務質問の憂き目に晒される。
「何で私、魔女なんかやってるんだろう?」
向いてないのかなぁ。
常日頃からそんな思いを抱いている悠里は、他の三人の魔女が羨ましい。
悠里の力は弱い。せいぜい使い魔を使役する程度だ。楓のように攻撃魔法をバンバン使うような真似は出来ない。
加えて言うなら、大学時代の同期が次々と結婚していっている現実に危機感を感じていた。主に財布に。そして自分の境遇に。
「こんな事してたら、素敵な出会いなんかあるわけないし」
『家』に帰れば三人の魔女と家主の五代。
五代は魔女協同組合の組合員で、年齢その他の経歴は不明とされている。
外見はそれなりで、年齢もまだ三〇かそこらに見える。だが実際は違うらしい。
そもそも結婚しているのかしていないのか。常に『家』にいるわけではないので、どこかで結婚していてもおかしくはない。
それ以前に五代は悠里のタイプではない。あくまで仕事上の関係で、いわば上司だ。そこに恋心が入り込む余地は微塵もない。
ため息を吐き出し、まだ見ぬ白馬の王子に思いを馳せる悠里だった。
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2017/06/26
天球儀(サンプル)
マイナビ出版より配信中の学園ファンタジー、「天球儀」の「序章」、「第一話 そして僕は入部した」をサンプルとして掲載します。
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序 僕の夢
小学生の頃、僕は将来の夢という題で作文を書いた。
内容は殆ど忘れてしまったけど、これだけは覚えている。
『天体観測をしたいです』
小学生が「天体観測」なんて言葉は普通使わない。せいぜい「星を眺める」とか「月を見たい」「行きたい」程度だ。それを僕は、はっきりと「天体観測」と書き切った。
夢だったからだ。
だから僕がこの学校を選んだ理由はとてもシンプルだ。
もう一目惚れみたいな物だ。
県内で唯一『天文部』がある。学校紹介のパンフレットを見た瞬間から、僕の目は校舎の上に鎮座する天文台に釘付けだった。
小学生の時に父親から買ってもらった天体望遠鏡。そのレンズで切り取られた僅かな空間。そこには星々があった。宇宙があった。
とにかくドキドキしたのだ。
第一話 そして僕は入部した
「ほらー席に着けー」
担任と思われる男の先生が声を張った。
教室では新しい環境に戸惑いながら、自分の席を探すクラスメイトの姿があった。
僕もその一人だ。
入学式が終わりクラス分けされた。僕は一年五組だった。
「今日からこのクラスの担任になる高崎だ」
高崎(たかさき)先生は、チョークで黒板に自分の名前を書いた。
角張った字だった。
「じゃ、自己紹介な。出席番号順から順次、よろしく」
高崎先生──角刈りでジャージだから、きっと体育教師だ──はそう言うと、教卓に座り込んだ。
後は勝手にやってくれ。
どこか投げやりな態度だった。
大丈夫なのかなこの人は?
そんな僕の不安なんて気にも留めず、クラスの皆は勝手に自己紹介を始めた。
「中学の時サッカー部でした。だからここでもサッカー部に入りたいです」
「趣味は手芸です。でも体を動かすのが好きです」
「料理は男のする事ではないと考えています。でもコロッケを揚げるのは得意です」
等々。
色んな人が色んな事を自分で紹介した。
出席番号は氏名の五十音順だ。僕は苗字が『渡井(わたらい)』なので一番後だ。
そして僕の順になった。
席を立つとと四十名弱の視線が注がれた。
僕は人前で喋るのはあまり得意ではない。しかも同年代とはいえ、見知らぬクラスメイト。ちょっと萎縮してしまう。が、これは通過儀礼のようなものだと気持ちを奮い立たせた。
「は、初めまして。僕は、渡井悠久(わたらい ゆうき)です。悠久のユウの字に久でユウキと読みます。趣味は天体観測です。なので天文部に入りたいと思っています。えーと、とにかくよろしくお願いします」
短いけれどまぁ良いや。他に言う事もないし。
僕はぺこりと頭を下げ着席した。
ところが。
クラスの全員が黙ったまま僕を見ていた。
何だろう? 何かまずい事言ったかな?
気まずい沈黙を破ったのは高崎先生だった。
「渡井、一個抜けてるぞー」
「は、はい?」
「出身校」
「しゅ、出身校ですか?」
「そうだ」
「え、えーと、出身校は隣町の第二中学校です」
「そこに天文部はあったのか?」
「はい? いえ、ありませんでした」
「じゃあお前はどこの部に所属していた?」
「陸上部です」
「ほほぅ。それでこの高校では陸上部には入らないのか?」
持って回った言い回しだ。遠回しに陸上部への入部を誘っているんだろうか。
でも僕は決めている。この学校を選んだ理由。今の僕はそれが全てだ。
「はい。その……天文部があるので」
「渡井」
高崎先生は立ち上がった。
「俺はこの学校で陸上部の顧問をしている。俺はな渡井。お前を知っている」
「え?」
「お前、中体連の短距離走で準優勝して全国大会行っただろう?」
その言葉にクラス中がどよめいた。
(全国大会だってよ)
(すげぇな)
(何で天文部なんだ?)
「この学校はな、それなりに運動部の活動に力を入れていてな。多分この後、運動部の先輩方のスカウトがどっさりやって来る」
「は?」
「それとここは中高一貫教育でな。中学からそのまま上がってきたヤツが多い。大半はそうだろう。このクラスに至ってはお前以外中等部から来た連中ばかりだ」
「はぁ」
「ここの中等部はな、陸上部に限らず運動系の部はあまり活躍しているとは言えない。高等部もそうだ。だからお前の実績は、運動部の連中からすれば大注目だ。それなのにお前は、よりによって天文部に入るとか言いやがる。あの『天文部』だぞ?」
『あの天文部』?
『あの』って何だろう?
「知っているヤツは知っているだろうが……いや、お前以外は全員知っているな」
どうも回りくどい言い方をする先生だ。
「悪い事は言わん」
高崎先生は僕に歩み寄り肩に手を置いた。
「あの部だけは止めておけ。あの『天文部』だけは」
その時だった。
教室の扉が、バンっと勢いよく開いた。
そこには白衣の女性が立っていた。
「高崎! お前、余計なこと言うな!」
「げ、先生……」
突然現れ由利川先生と呼ばれたその白衣の女性。
その印象は強烈だった。
とにかく偉そう。
同僚と思われる高崎先生を名前で呼び捨て、さらに言葉は命令形だ。
そして何より奇麗な女性だった。
長く黒い髪が印象的で、白い肌がさらにそれを引き立てている。
年齢は、ぱっと見て二十代後半だろうか。自信はないけど。
その由利川先生は、つかつかと高崎先生の前に歩み寄り、真っ正面に立って胸を張った。
肩にかかっていた髪がさらりと背中に流れた。
「せっかく貴重な戦力が自ら入りたいと言っているのに、それをお前の都合でねじ曲げることはこの私が許さん」
──何その貴重な『戦力』って?
「い、いや、これは……」
「それに何だ。入学当日のオリエンテーションで担任の特権を利用して自分の部に勧誘するなど、それは職権乱用だ」
「いや、そういうわけではなくてですね……」
「なんだ、男のくせに言い訳するのか?」
「い、いや言い訳ではなく」
高崎先生はしどろもどろに『言い訳』をした。どうやら由利川先生に頭が上がらないらしい。白衣を着ているので理科か何かの先生だろうか?
「君」
由利川先生が僕を見た。
鋭い視線が僕を射抜いた。その眼力だけで何かを壊しそうだ。
「この学校に来て天文部に入りたいなんて言うのは君くらいだ。歓迎する」
「由利川先生!」
今度は高崎先生の番だった。
「由利川先生、あなただって俺を差し置いて勧誘しているじゃないですか!」
「それがどうした」
由利川先生は怯まなかった。
「本人の希望と学校側の要望をすり合わせたまでだ。両者の利害は一致している」
「いや、そういう問題じゃなくてですね……」
「それにだな……」
由利川先生は急に小声になった。高崎先生にだけ聞こえる声で何かを言っているようだ。内容は分からないが、高崎先生の狼狽し、怯えた表情を見ると何となく分かった気がした。
「さて君」
由利川先生が僕に向き直った。話は終わったようだ。高崎先生は明後日の方を向いて何かをぶつぶつ呟いていた。
「はい」
「名前は?」
「渡井悠久です」
「──よし。ワタライ」
「はい」
「放課後、保健室に来るように」
「はい?」
保健室?
今、保健室って言わなかったか?
「聞こえなかったか?」
由利川先生が僕を睨んでいる。
一切の有無を言わせない視線だった。
「ほ、保健室ですか?」
多分僕の声は裏返っている。由利川先生の視線を受け止めるだけで精一杯だ。
「そうだ」
「天文部の話じゃないんですか?」
「天文部の話だ」
天文部への入部の件と保健室がどうしても繋がらない。
そもそも。
目の前にいる由利川先生と天文部の接点が見えない。
困った。
僕が困っていると、どうにか立ち直ったらしい高崎先生が口を挟んだ。肩で息をしていた。由利川先生の『呪いの言葉』が相当堪えたらしい。
「わ、渡井、よく聞け」
「はい?」
「ここにいる由利川先生は、天文部の顧問だ」
「は? こ、顧問?」
「そして由利川先生は、養護教諭──保健室の先生だ」
──保健室の先生が、天文部の顧問?
「やっと分かってくれたようだな」
由利川先生は満足そうに微笑んだ。
何に満足したのかは分からないが、あの突き刺さるような視線ではなくなった。
でもひとつだけ疑問がある。
それは由利川先生の登場タイミングだ。
僕が「天文部に入りたい」と言い、高崎先生が陸上部への勧誘を始めた途端、由利川先生が現れた。まるで教室の前に張り付いて会話を聞いていたかのような絶妙さだった。
「細かい話は後だ」
じゃあな。
そう言って由利川先生はとっとと教室を出て行った。
疑問を聞く間もなかった。
そっと高崎先生を見ると、何やら同情めいた表情を浮かべている。
「……渡井。もうお前は戻る事は出来ない。貴重な高校生活を自ら放棄するとは……残念だ」
がっくり肩を落とす。
見回すとクラス全員が同じ表情をしていた。
そんなに大変なのか? 天文部が?
「先生?」
「何だ、渡井?」
「僕はもしかして何か大変な事をしたんですか?」
「俺が言うより実際に見た方が早い。それに俺にはもうどうする事も出来ん……申し訳ないが……」
そう言うと高崎先生は教卓に戻り、クラス全員にこう言った。
「我がクラスで一名の尊い犠牲が出た。だが気にする事はない。いいか。気にするな。俺が言えるのはここまでだ」
どこか決然とした口調だった。
「──さて、自己紹介も終わったな。今日はここまでだ。明日からは新入生気分を抜いてしっかり勉学に励むように。それから渡井。いいか、決して……いやいい。その内分かる。何かあったら相談しなさい」
何が分かるんだろうか?
「以上だ。ついでだからクラス委員も決めてしまおう。渡井、お前がやれ」
「は?」
「どうせそうなる。それなら早い方が良い」
意味が不明だ。
でも僕を除くクラスの全員が賛成の意、つまり僕をじっと見ていた。
──もうヤケだ。
「分かりましたよ。やりますよ、もう。起立!」
礼。着席。
かくして僕はクラス委員に抜擢された。
でもそれだけで済むとは思えなかった。
もっと大変な何かが目の前に現れる。そんな予感があった。
そんなもやもやしたモノを肌で感じつつ、僕は久しぶりのため息をついた。
──受験の時以来だなぁ、この感覚。
*
ちなみに高崎先生は国語の教師だった。
人は見かけによらないものだと、改めて実感した。
*
オリエンテーションが終わり、僕は保健室に向かった。
入学当日に保健室に行くなんて思いもしなかった。
少なくとも僕には保健室なんて無縁の物だった。
小学校、中学校と、風邪をひいた事はない。
怪我して保健室に駆け込んだ事もない。
だから勝手な想像があった。
綺麗な女性の先生が暖かく出迎えてくれる。本当に年齢相応の自分勝手な妄想だ。
「失礼します」
僕は保健室の扉をノックし、一応断ってから入室した。
「おう、来たか」
保健室には由利川先生と僕以外誰もいなかった。
かすかに消毒薬の匂いがした。
由利川先生は長い髪を後ろで束ねていた。まぁ保健室の先生なので、消毒薬やらガーゼやらを扱う上で邪魔になるからかも知れない。
その上、なぜかメガネをかけていた。
──さっきはかけていなかったのに?
由利川先生は僕の視線が気になったのか「ああ、これは伊達だ」と勝手に答えた。
色々理由がありそうだが、深く聞いてはいけない。そんな気がした。
「まぁ座れ」
由利川先生は、僕に脇にあった椅子を勧めてくれた。
椅子に座り改めて部屋の中を見回す。
どこにでもあるワークデスクと椅子。薬品が入っていると思われる棚。そしてカーテンで仕切られた向こう側にベッドが二つ。
きっとどこにでもある保健室に違いなかった。
そして由利川先生は綺麗な女性だった。だから半分は僕の想像通りだ。
問題は残り半分。
「さて」
由利川先生は椅子をくるっと回して僕に向き直った。
「何か飲むか? と言ってもコーヒーしかないがな」
「じゃあ……コーヒーで良いです」
「お前は素直で良いなぁ」
由利川先生は妙な感想を述べ、マグカップにコーヒーメーカーのデキャンターからコーヒーを注いだ。コーヒーはあまり詳しくはないが、コーヒー独特のいい香りが部屋に漂った。
後で知ったのだが、これがどれほど危険な行為だったのか、この時点では知る術はなかった。
「この書類にサインしてもらおうか」
そう言って一枚のA4用紙を差し出された。
何だこれ?
「入部届けと誓約書だ」
──誓約書?
「我が部の伝統でな。これにサインしてもらわないと天文部への入部は許可出来ない」
僕はその入部届け兼誓約書に目を通した。
そこには、氏名と生年月日、血液型、住所、そして緊急連絡先を書く欄があった。さらに下の方には条文らしきものが細かい字で書かれていた。
曰く。
・部長、副部長、部員を呼ぶ時は名前で呼ぶ事。
・校内で部員と会ったら挨拶をする事。
・部で機密扱いとなっているものについては口外しない事。
・人命、人権に関わる重大な事はしてはいけない。
・他は何をしても良い。
何だこれ?
機密扱いとか人権って何だ?
「ペンを貸してやろう。それにサインすれば、お前は今日から天文部員だ」
由利川先生はなぜか勝ち誇ったようにそう言い放った。
ペンを握る僕の手が震える。もしかすると自衛本能なのかも知れない。得体の知れない『何か』と契約しようとしている、そんな感覚が襲って来た。
「せ、先生?」
「何だ?」
「この書類はどういう意味があるんですか?」
「意味も何も」
由利川先生が身を乗り出す。
綺麗な長髪からいい香りがした。
「そこに書いてある通りだ。それ以上の意味はない」
「この機密扱いって何ですか?」
「それは機密だ」
言い切られた。
「それに人権って……」
「お前は日本国憲法を知らないのか?」
「はい?」
「日本国民は基本的人権の尊重と、最低限の文化的な生活を保証されている。それはそう言う事だ」
「はぁ」
「大丈夫だ。何も取って食いはしない」
何か恐ろしい事を言われた気がした。
「さぁ、さっさとサインしてくれ。私はこれでも忙しいんだ」
僕は急かされたようにその『入部届け兼誓約書』にサインした。
「よし。これで君は天文部員だ。入部を許可しよう」
由利川先生は話はこれまでとばかりに、デスクの山積してある書類に取り掛かり始めた。
まるで僕の事など目に入っていない様子だ。
——僕はこの後どうすれば良いんだ?
まさか天文部の部室が保健室な訳はないので、部活動をするならそこに行かなければならない。
でも目の前の顧問の先生は、僕に目もくれずせっせと書類を捌いている。
僕は途方に暮れた。
「ん? 何だお前。まだいたのか?」
先生それはあんまりでは……。
「サインはしたのだからもう帰って良いぞ? それとも、せっかくだから部に顔を出すか?」
──待ってました!
「はい! ぜひ!」
僕は意気込んで、元気良くそう答えた。
「部室は保健室を出てすぐの階段を階段をひたすら昇ればいい。この校舎の一番上だからな、必ず見つかる」
案内してはくれないんですね……。
「……はい、それでは失礼します……」
「おお。よろしくな」
由利川先生は扉を開けて一礼する僕に背を向け、手だけ振ってよこした。
大丈夫なんだろうか?
不安だけが膨らんで行った。
*
部室への道のりは確かに迷う事はなかった。
由利川先生の言う通りひたすら階段を昇ると、屋上に通じる小さな踊り場に出た。
そこには校舎と屋上と天文台を隔てる扉が二つあった。
一方ははめ込んである窓から屋上が見えた。
だから残るもう一方が天文部の部室だと思う。
でも扉には何も書いていなし、窓もなかった。
「天文部とか、せめて星を見る会とか、何か書いてあっても良いと思うけどなぁ」
僕は独り言ちたが、それで扉が開くわけではない。とにかくさっさと入ってしまおう。
この扉の向こうには天文台がある。
僕の自前の望遠鏡なんて、それに比べればおもちゃのようなものだ。ここの反射式望遠鏡ならもっと遠くの星を見る事が出来る。もっと沢山の星を見る事が出来る。
それが叶う。
僕は躊躇いがちに扉をノックした。
ところがいくら待っても反応がない。
あれ? と思ってもう一度ノックした。
やっぱり反応がない。
やむなくドアノブをひねる。
鍵は閉まっていた。
──屋上側から見てみるか。
僕は屋上に通じる扉を開けようとした。
そちらの扉も開かなかった。
まぁ学校が屋上を常時開放している訳はないので、当然といえば当然だ。
今日は休みかな? でも由利川先生には部室に行けと言われたしなぁ。
僕は天文部と思われる扉を、ちょっと強めにノックした。
ドンドン。ドンドン。
いくら叩いても反応はなかった。
──仕方ない、戻って先生に聞いてみよう。
僕は保健室に戻る事にし、階段をとぼとぼと降りた。
その間誰ともすれ違わなかった。
静かだ。
校内のどこよりもここは静かだ。
昇っていた時は気にしなかったのだが、屋上に通じるこの階段は幅も狭く、壁には何も貼られていない。
ただ冷たい床と冷たい壁があるだけだ。
照明が暗いせいか、まだ日中なのに全体が薄暗い。
一言で言えば不気味だった。
僕は何かに背中を押されるように足早に階段を降りて行った。
足を止めたら何かに取って食われそうだった。
だから階段を降り切って、保健室の前で由利川先生と会った時は本当に安心した。
──良かった。ここは学校だったんだ。
なぜそう思ったのは分からない。
違う。何か違う。そんな感覚があった。この階段は学校ではない。僕は階段を振り返る事すら出来なかった。
「どうした、渡井?」
由利川先生が怪訝そうな顔をした。
「部室に行ってみたのか?」
「は、はい。いえ……」
「何だ? どうかしたのか?」
由利川先生の顔が曇る。
メガネの奥にある目がすっと窄まった。
「いえ、階段が……」
「階段? ああそうか。入部の手続きがまだだったな……」
由利川先生は、しまった、という顔をした。
「?」
「鍵が閉まっていたんだな?」
「は? ええ、そうです」
「お前、良く昇れたな」
「はい?」
「……まぁ良い。それなら今日は部活は休みだな。連中も何かと忙しいだろうからな。今日は帰っていいぞ」
──は?
一気に日常に引き戻された。
部室に行けと仰ったのは先生なのでは?
由利川先生はそんな僕の視線を無視して、とっとと廊下の向こうに消えて行った。
──何なんだ一体?
僕はがっくりと肩を落とし、そのまま帰路に就いた。
*
その日。
家に着いても何か落ち着かなかった。
夜になりベッドに潜り込んでも中々寝付けなかった。
──入学初日から何でこんなに不安があるんだろう?
とにかく明日だ。
僕は頑張って眠りに落ちた。
その晩──。
とても嫌な夢を見た気がした。
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